Mary Ellen Copeland

元気になること

メアリーエレン・コープランド

(訳:高村なをみ)

 

元気になることは私にとってずっと以前に始まったプロセスです。私はこれは完結するものだとは思っていません。私の人生の中で、責任ある立場の大人やヘルスケアの専門家が違う対応をしていたら、私の人生の旅はかなり違ったものになっていたでしょう。ここでは、私に何が起こって、どうやって元気になっているのかをお話したいと思います。この結論では、どのように私の生活が違ったものになりえたか(多くの苦痛が回避されたか)、“慢性の精神病患者”にならないように、うつや躁うつの症状にどのように対処できたであろうかについてお話したいと思います。(私は、精神的な不調はすべての不調と同様に、身体的かつ心理的な要因を持っていると感じています。特定の治療に対する反応や管理や自分でできる対応の仕方は、個々人によって異なります。誰にでも当てはまる答えは存在しません。私たちはそれぞれ自分自身で、自分にあったやりかたを見つけ出さなければなりません。)

私の心の不安定さはいつ始まったのでしょうか。学校であう他の子供と自分は違っていると初めて感じたときに始まったと考えています。何が違うのかわからなかったけれど、どこか違うとわかっていました。5歳のとき学校からの帰りに、友達が車にはねられ死んでしまったからなのか。母が精神病院にいたからなのか。私は望まれたり、受け容れられたり、愛されていると感じたことがなかったからなのか。2人の年上の親戚の男の子が、長年私に嫌がらせをしたり性的ないたずらをしたからなのか。面倒をみてくれた人が私の駄目なところをことごとく言い続けたからなのか。幼い少女だったころの写真を見ると、他の子供と同じような外見であったことは、はっきりしています。私の心の中は一体何が違っていたのでしょう。

時々私は絶望に負けて、どうしようもないほど泣きながら、一人自分の部屋で長い時間を過ごしました。その他の時は“とても利発で元気で”よくできる人であることで、私の人生のわびしい環境に応えました。その中間というのはあり得ませんでした。

そのころを振り返ると、私は子供やティーンエイジャーとして、答えを探していました。気分を良くする方法を。私は自助関係の雑誌記事や本を熱心に読みました。ダイエットやエクササイズを試しました。いつでも完璧であろうとしました。しかし何も大きな助けにはなりませんでした。

でも私は何とか切り抜けていました。学校を卒業して、当時の女性がすると思われる全てのことをしました。大学へ行き、結婚し、家族を持つこと。時々全てが困難に思えました。あるときは全てのことがとてもたやすく思えました。誰の人生もこんなふうだったのでしょうか。前へ前へどんどん進んでいったのです。

それからあまりに深い絶望の時期がやってきました。私はベッドから起き上がることができず、ましてや5人の子供の世話をしたり、“ハイ”なときに始めた私立の学校を運営するどころではありませんでした。私は精神科医を訪ねました。彼は私の話を聴いてそれは間違いないと言いました。私は母のように躁うつ病であると。彼は日に3度のリチウムですべての問題が処理できるといいました。なんという簡潔な解答でしょう!私は大喜びしました。

10年間私はリチウムを摂り続け、自分を改善できることは何でも続けました。生活はとても混乱した状態でした。でも躁状態はそれほどひどくなく、落ち込みもひどくありませんでした。

それから私はリチウムの毒性による危険なできごとに、不意に襲われました。どうして誰も胃炎から脱水状態になっているときにリチウムを摂り続けると、リチウム中毒になることを教えてくれなかったのでしょう。それを考えると、私はほとんど宗教的に自分の口に運んでいたこの物質について、あまりにも知らな過ぎました。元気でいられるようにあらゆることを自分の力でやっていたのに、私の元気の最終的な責任は精神科医の手中にあるということを、まだ信じていたのです。私のために正しい決断をしてくれていると信じて疑わなかったのです。

リチウムの毒性を経験した後は私の体は二度とそれを欲しなくなったようでした。それを飲むたびに、中毒症状が戻ってくるのです。そしてそれが無いと、あの暗く深い絶望と高い達成感を繰り返す時期が戻ってきました。薬を飲んでるときだけ、それらの症状は制圧されていたのです。うつは暗く自殺のおそれがありました。躁は全く制御不可能なものでした。幻覚は生活のスタイルになりました。私は仕事を失いました。友人や家族は離れていきました。私は精神病棟で幾月かを過ごしました。私の命は滑り落ちていくようでした。次から次へと薬が試され、常に数種類の薬を飲んでいました。もう何も私を活き活きとした生活へと連れ戻してくれることはないように思えました。

霞がかかったような意識を通して、私は答えを探していました。どうやって他の人たちは、こんなできごとに遭遇しながらも、切り抜けているのだろうかを考えていました。その人たちのすべてが私と同じようであるはずがない―働くこともできず、ほとんど自分のこともできないなんて。私は主治医に躁うつ病の人たちがどうやって一日一日をうまく生きているのかを尋ねました。彼は情報を集めてあげると言いました。私は次に彼に会うのを大いに期待していました。何か答えが見つかるのではないかと。しかしそれは何という失望だったことでしょう!彼は薬と入院治療と抑制の情報はあるが、人々がどう生きているのかについては何も情報が無かったといいました。

私はこのジレンマを、この精神病の女性のために世の中に居場所を見出すべく必死に努力している職業リハビリカウンセラーの所に持って行きました。彼女にある夢を語りました。うつ病や躁うつ病をかかえる人たちが、安定を保ち続ける方法を見つけ出すという夢を。驚いたことに、彼女は私の考えを支持してくれました。彼女のバックアップと社会保障局の障害を持つ人の自立を支援するプログラムの助けを得、私は自立のための方策をわかちあうことに同意してくれた120名の人たちの研究を始めました。

情報が入り始めるにつれて、私のモヤモヤした頭はおびえ始めました。どうやってこのデータを編纂し、私やわたしのような人たちに役に立つ形に、まとめることができるだろうか。私は根気よくやりました。情報はとても魅惑的で私は引き寄せられていきました。再び私は意義のある仕事を手にいれました。私はそこで元気になり始めたのだと思います。

このデータをまとめていて学んだ最初で最も重要なことは、たくさんの希望があるということでした。一般に信じられていることとは逆に、うつや躁うつを繰り返すエピソードを持つひとたちは、元気になり、長い間元気であり続け、人生で望むことを手に入れているのです。この希望のメッセージは私が今まで耳にしたことがなかったものですが、それが本当のことだと知っている私たちのすべてが、広められていくべきことなのです。

私はまもなく研究の参加者からの回答にはっきりした違いがあることに気づきました。ある人たちは自身の不安定さを他のひとのせいにしました。“もし私の両親が・・しさえしなければ、”“もし私のドクターが・・を試してくれれば”“もし私の4年生のときの先生が・・”等々。気持の不安定さがこの人たちの生活をコントロールしていました。他の人たちは自分の生活に責任を持ち、自分のために権利擁護し、学び、必要なサポートを得るなどしていました。これらの人たちは元気になり、元気であり続けていました。私がその時点で180度進路を変え、私の頭がそれを受け入れるのと同時に後者(自分で責任を取る人達)の方に加わったことを、もちろんあなたもおわかりでしょうね。それは人生を取り戻す最初の大きなステップでした。

それから私はわかちあえる沢山の知識を持っている人たちから、気分の揺れが激しく自尊感情を地下室においてきてしまった人々にとっては、どんなに困難に感じるとしても、自分で自分のために権利擁護しなければならないことを学んだのです。私は治療や住まいや人間関係やサポートや仕事や活動について、私自身はどうしたいのかを考え始めました。そして、それらを達成させるための方策を考え、それに向かっていきました。私の生活の中で物事が変わり始め、変わり続けています。私の人生はどんどん良くなっています。

私はまだしていませんでしたが、他の多くの人たちがしていたように自分自身の教育を始めました。うつや躁うつや、薬や新しい治療法についてできる限り読みました。このプロセスの中で国や州や地域の団体に援助を求めて連絡をとりました。私のために意思決定をしてもらうのではなく、医療専門職に私がして欲しいことや期待していることを伝えるようにしました。私は自分にもっと気を配るようにし始めました。自分では意思決定が出来ないときに、人に私のためにどのように意思決定してほしいかを指示するプランを作り、このような状況で、どう扱って欲しいのかを伝えました。

この勉強のおかげで、私はいくつかのおおきな総合病院に入院していたのに、甲状腺の詳しい検査を誰もしてくれなかったことに気づいたのです。私は深刻で治療が必要な甲状腺機能低下症があることがわかりました。いったんその治療が始まると、私の頭は実にすっきりし始め、進歩はめざましいものがありました。

私は精神治療のサバイバーの全国的な運動に、つながりを持つようになりました。私とよく似た過程を経てきた他の人たちと一緒に、ミーティングや会議に参加し始めました。私は認められ肯定されていると感じました。私は自分のように恩恵を受けられるだろう他の人たちに、私の調査を通して学んでいるスキルを本格的に教え始めました。

何人かのすばらしいカウンセラーや相互のカウンセリング、また沢山の自助の手段の助けを受けながら、私は今にも起こりそうな調子の波の注意サインをうまく見つけ、実際にその波を途中で断ち切ることができました。最初は、毎日チャートをつけて、助けにしました。自分自身を良く知るにつれ、だんだんチャートを使う必要はなくなってきました。

そして、注意サインに気づくと、簡単で安全でお金がかからず効果的な、たくさんの自助のテクニック、たとえば、ストレスを減らし、リラックスし、サポーターとおしゃべりし、ピアカウンセリングをし、楽しくていい感じになる活動をし、運動し、食事を改善し、生活をシンプルにすること、でそれらを緩和しました。

食べ物は本当に感じ方に影響をおよぼすことに気づきました。ジャンクフードや砂糖やカフェインにかたよるとすぐ具合が悪くなります。高複合の炭水化物(一日に穀物6:野菜5)にするといい具合です。手早くできて健康的な食べ物を手近におくことで、料理したくない時にジャンクフードの誘惑に負けないように習慣づけたのです。

私は毎日散歩に出かけるようにしています。いつも私をより元気に感じさせてくれるよう運動するためと、目から光を受けることが私の助けになるからです。光は私にとって大きな問題点でした。秋になって日が短く暗くなるにつれ、冬のうつが起こり始めるのです。この冬のうつは一日少なくとも1時間半外に出ることと、ライトボックスで朝2時間光を補うことでほとんど解決しました。

一晩中電磁気の磁界にくるまれていることの危険な影響を知ってからは、電気毛布をやめて暖かい掛け布団に替えました。この変化の後、私が全般的に良くなっていく中で、もうひとついいことがあることに気がつきました。

私はとうとう、自分の考え方は新しく作り出すことができ、変えられることに気づいたのです。うつを増大させる古い悲観的な考え方のパターンを新しい肯定的なものに変えるために懸命に取り組んできました。この作業はずっと続くでしょう。たとえば私の母はうつだったとき、繰り返し何度も何度も、日に何千回も“死にたい”といっていました。私もうつになったとき同じことをやり始めました。 “死にたい”といえば言うほど死にたくなるのです。もし代わりに“生きることにする”といえばずっとよくなって死にたい気持ちが減っていくことに、やっと気がつきました。

私を絶えず悩ませていたもうひとつの思いは“私はまだ何も成し遂げていない”ということでした。 私は違うやり方をすることにしました。もう随分たくさんのことをやり遂げたと。しばらくの間やり遂げたことの長いリストを作るのに熱狂しました。朝起きることや幼稚園を終了したことから修士号を2つ取ったことや5人の子供を育てたことまであらゆることがリストにのりました。まもなくリストを作らなくて良くなりました。悲観的な考えはもう私の生活の要素ではなくなったのです。

悲観的な考えに取り付かれたときは、手首に輪ゴムをはめます。悲観的になり始めたら輪ゴムをプチンとはじきます。そうするともっと人生の明るい面に目を向けることを思い出します。手首の輪ゴムは家族や友人にとって私が取り付かれた考えに取り組んでいるという合図なのです。

肯定的な独り言を補強するために認知療法のテクニックを使ったり、自分自身をよりよく扱ったり、私を受け止めてくれる家族や友人と時を過ごすことによって、私は自尊感情をどん底からよみがえらせました。自分のことを悪く考え始めていると気づいたら(うつの注意サイン)繰り返し繰り返し自分の価値についての個人的な意見を述べるのです。 “私は素敵で、特別で、ユニークな人間だから人生で出会う最上のすべてのものに値する”というふうに。

何人かの非常に優れたカウンセラーや、代替的医療の実践者と共に、そして、いろいろな自分でできる手法に関する資源を用いながら、私は多様なストレス減少法やリラクゼイションの方法を学びました。これらのテクニックを、幸福な感覚を増大させ、不安を減らし眠りを助けるために毎日使っています。うつや躁うつの注意サインに気づいたら、累進的リラクゼーションである簡単な呼吸法を一日に行なう回数を増やします。

私は良いときと同様に、状況が困難になったときに頼りに出来る、組織だったサポートシステムが必要だとわかりました。お互いにサポートし合うことになっている5人のリストを持っています(電話の横においてあります)。この人たちとは定期的に連絡を取っています。 一緒にランチをしたり、散歩したり、映画を見たり、お互いに楽しめることをします。困難が生じたら、話を聴いてもらい、アドバイスをもらったり判断を助けてもらったりするのです。私も同じことをしてあげます。これは私の元気にはとてもありがたいことなのです。 

私のサポーターのうちの何人かは、女性のためのサポートグループや情緒障害のある人たちのサポートグループに定期的に出席していて出会った人です。その他は家族や今はお互いにサポートしあうことになっている古い友人です。  

私が自分の健康に責任を持つために懸命にやっているので、まわりの人はより熱心に私のサポーターをしてくれるのだと気付きました。 お互いにサポートしあう取り決めが良いようです。サポートは両方向であるべきです。サポーターが私ほどに頼みごとをしていないと気がつけば、わたしからランチか映画に誘い、小さな贈り物をしたり家事を手伝ったりします。

サポーターにとっては、私が頼っているのはその人一人だけではないと知っていることも良いようです。もし彼らが大変で私の助けになれないときは、私は誰か他の人の助けを得られることがわかっています。

私のカウンセラーたちは、私が持っていた役に立たない社交技術を手放し、そのことで私が強力なサポートシステムを得やすいようにする手助けをしてくれました。

私のサポーターの中には、一流の女性カウンセラーや内分泌線系の疾患の専門医や身体療法家や代替的治療コンサルタントを含む健康管理の専門家がいます。 私は自分が主導権を握っていることを忘れないようにしています。 誰かが可能な治療を提案すると、私はそれを行う決断をする前に十分検討します。

ピアカウンセリングはよく用います。もっとする必要があります。それは本当に助けになります。友人とあらかじめ決めた長さの時間、会います。その時間を半分にわけます。半分の時間の間、私はしゃべり、泣き、興奮し、明るくなり、動揺し、何でも感じるままにします。もうひとりはよく聴いてあげて励まし、批判したり判断したりせずアドバイスを控えます。残りの半分の時間は同じことを相手が受けるのです。そのときに話したことについては、完全に秘密を守ります。

フォーカシングは、イギリスにいる仲間が勧めてくれました。彼らは、うつや躁のエピソードを避けるためそれを定期的に使っています。それは自分の感情の源を理解することを助ける簡単な、自分でできるエクササイズです。私は圧倒されそうな気分になったときはいつでも、横になってリラックスします。それから自分を新しい内観に導いてくれる簡単な質問を自分にします。よく他の人にもフォーカシングの本を読んだり、セミナーに行くように勧めています。私の最近の本にはフォーカシングの章を入れました。

私がした非常に重要な決心は、二度と自殺を考えたり死のうとしないようにするということです。私はこれが続いている間それを経験し、何が起ころうと立ち向かおうと決心しました。そして決心して以来、何度もそうしなければなりませんでした。繰り返し繰り返しその選択を確かめ、決して死ぬことについて考え込まないようにしたのです。

私の人生を振り返り、どのように違った道筋をたどりえただろうかを考えます。

不快でわけのわからない症状に打ちのめされている人たちは、将来、どんなふうな対応を受けることができるかについての、もっとも素晴らしい未来図が私の好奇心をそそります。押しつぶされそうなうつ状態、制御しきれない躁、おびやかされるような妄想や幻覚、死にたいと思い続けることや、自分を傷つけることに対して、私たちが望むときに対応が始まります。(このシナリオであれば、私たちはより頻繁にそれを望むでしょう)。私たちが助けてと手を伸ばしたとき、暖かく愛情に満ちた人たちが、すぐに手に入る様々な選択肢を提供してくれるのです。選択肢には、遊覧船や山の保養地、中西部の牧場、豪勢なホテルなどがあります。このあらゆる場所で最高ランクの親切な医療・保健の専門家による相談や治療の機会が提供されます。 プール、ジャグジィ、サウナ、スチームルーム、トレーニングルームがいつでも使えます。好みの健康食品が選べます。いろいろな美術や音楽の手法を通して創造的な表現ができます。 マッサージや他の身体療法も、要望があれば使えます。ストレス減少やリラクゼーションのクラスもあります。サポートグループにも自由意志で参加できます。暖かく親切な人たちがいつでも話を聴いてくれて抱きしめてくれたり、励ましてくたりします。 感情を表すことが奨励されています。あなたが選んだ家族や友人が来てくれることも歓迎されます。もしお好みなら、このようなサービスを家庭で受けることもできるでしょう。理解のある雇用主はこの元気促進体験のために従業員に喜んで休暇の許可をだしてくれることでしょう。このような環境を与えられたら、あなたはどのくらいで元気になるでしょうね。  

 

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